新しい始まり


 目に強い刺激を受けしばらくしてゆっくりと目を開いた花梨の目に映ったのは、京に来る前の、現代の光景。
「――私、戻ってきたんだ……」
 歩道でぼんやりと立つ花梨の後ろを、同じ制服を着た学生たちが楽しそうに話しながら過ぎていく。
 かすかに感じた風に、空気に、人やもののざわめきに、花梨は京とは異なるものを全身で感じ、戻ってきたのだと息をついた。
 それと同時に京での様々な出来事が駆け巡り、はっとして辺りを見渡す。
「イサト、くん……?」
 百鬼夜行を倒し、京の平安を取り戻して龍神の元から戻った花梨に、彼は共に花梨の世界へ行きたいと言ってくれたのだ。
 花梨は心から彼の願いを喜び、願った。
 そしてその願いは龍神に受け入れられ、叶えられた。それなのに無事現代に戻った花梨の隣に、近くに、彼の姿は見えない。
 花梨の胸に嫌な痛みが、走る。

―― シャ ン……

「っ!?」
 刹那、鳴り響いた鈴の音に花梨が顔を上げると、目の前を赤い髪が横切ったように見えた。
「イサトく……」
 花梨はほっと息をつきながら赤い髪が流れた先を見るが、そこには赤い髪の人物どころか誰もおらず目を見張る。
 じわりと花梨の胸に痛みが広がる。
 けれどまた鳴り響いた鈴の音を合図に、その方向へ花梨は駆け出した。



 どくん、どくんと、痛みを伴いながら鼓動が鳴る。
 花梨は見慣れた街から少し外れた道を走っていた。
 いつもなのか、今だからなのか分からない。花梨が走り出してから道中、誰ともすれ違うことはなかった。
 木々が日差しを遮る道で、けれど夏の暑さが残るなか懸命に走る花梨の額から汗が流れる。
「はぁ、はぁっ」
 荒く息を繰り返しながら目を大きく開いて走るのは、そうしていないと、不安から涙があふれそうになるから。
 いつまでも続くのではないかと思われた道の終わりが視界に入り、花梨はきゅっと口を結んだ。
 ひどく長い石段の上に見える三門から察するに、寺院へ続く道なのだろう。
 龍神の鈴の音に誘われるまま、意を決して石段を駆け上がろうと花梨が一段目を踏んだ瞬間、前からとてつもなく強い風が花梨を襲う。
「きゃっ?!」
 花梨は風を受け、バランスを崩して後ろに倒れそうになる。
 必死に何かを掴もうと前に手を伸ばすけども、進もうとした道に掴めるような何かがあるわけもなく、堅い地面に倒れる衝撃を想像して、目を強く閉じた刹那――

―― シャ ンッ……

 今までで一番大きく鳴り響いた龍神の鈴の音と、腕を誰かに掴まれる感触に、花梨はゆっくり目を開く。
 一番に視界に入ったのは自分の方へとなびく、長くて綺麗な、赤い髪で。
 次に視界に入ったのは自分をまっすぐ捉える、赤い、瞳。
「イサトくん……っ!」
 彼が掴んでくれた腕を頼りに、鞄を放り出してそのまま抱きつく。
「うわっ」
 不安定なバランスのまま抱きつかれたイサトは、その場にしりもちをつく。けれど、その両腕は花梨をしっかりと抱きとめたまま離さない。
 走り続けた為の荒い呼吸と堪えていた涙があふれ出したおかげで、呼吸をすることで精一杯な花梨は抱きついたイサトの服を必死に握りしめる。
 そうすることで感じた温もりにずっと胸に走っていた嫌な痛みがやわらぎ、安堵感から更に涙があふれる。
「イサト、くん、イサトくんっ……うっ、ふ」
 きつく抱きついて自分の名前を繰り返し呼ぶ花梨に、イサトは戸惑いながら背を撫でてやる。
「花梨……どうしたんだよ」
「イサトくんが、いなくてっ、私、一人っで、戻ってきたのかと、思って……っ」
 花梨はイサトの言葉に顔を上げて、途切れ途切れに話すけれど、言葉と一緒にぽろぽろ涙がこぼれて、呼吸も乱れていく。
 そんな花梨の様子に胸が苦しくなったイサトはたまらず目尻に唇を寄せて、あふれる涙をすくう。
 イサトの突然の行為に花梨は驚いて目を見開くも、同時にさらりと流れるように落ちてきた長い赤髪を見て、目を細める。
「髪……」
「え?」
「結んでないんだね」
 京では綺麗にひとつに束ねられていた髪が、今は何に束縛されることなくさらさらと流れる。
「あ、あぁ。本当は切った方が良いって龍神に言われたんだけど、花梨が……」
「私が?」
「花梨が、京でオレの髪を綺麗だって言ったから、この髪をどうするかはお前と相談したかったんだよ」
 その言葉に花梨が目をぱちくりさせると、イサトは急に気恥ずかしくなったのか、唇をつんとさせてそっぽ向く。
「悪かったな、優柔不断でっ」
「え?! ううん、そうじゃなくて! イサトくんがそんな風に思ってくれてたなんて思わなくて」
 言葉のやりとりをしている内に落ち着いたのか、涙がおさまった花梨は赤い顔でそっぽ向くイサトを見て、笑う。
「嬉しい」
 涙で潤んだ目を細めて笑う花梨を横目で見て、イサトは更に顔を赤める。
 そして自分たちがとても密着していることに気付き、慌てて花梨を抱き締めていた腕を離す。
「た、立てるか?」
「うん」
 握り締めていたイサトの服をゆっくりと離してから、イサトの手を借りておそるおそる立ち上がる。
 足に小石が付いていたり傷が幾つか出来ていたが、出血するほどひどいものはないことを確認して、ぱっぱと汚れを払う。
 花梨がそうしている間にイサトはさっさと立ち上がり、花梨が放り出した鞄を拾って汚れを払ってから花梨に渡す。
「あ、ありがとう」
 数段下にいるイサトから鞄を受け取りながら、改めて彼の格好を見る。
 駅でよく見かける学ランを第二ボタンまで外して軽く着崩していて、そこから鎖骨とTシャツがのぞく。
 京にいる間、彼の肌を見ることなどあまりなかった花梨はかすかに頬を染める。
 花梨がじっと見ていることに気付いたイサトは自分の格好を見て、あぁと言って言葉を繋げる。
「学校……だっけか? オレも通うらしいんだけど、そこの制服、だって」
「あ、そ、そうなんだ。法衣姿じゃないイサトくんって何だか……新鮮」
 照れ隠しに両頬を軽く抑えながら花梨もまた、言葉を繋げる。
「龍神様が用意してくれたの?」
「あぁ。そうだ、オレとお前って、こっちの世界では同い年なんだって」
「えっ?! そうなの?」
「あぁ! 学校はお前の学校の近くにある男子校で、友達もいるみたいでさ、すげぇ不思議な感覚だけど」
 新しい世界とその情報を口にして気持ちが高揚したのか、イサトの口からは次々と言葉があふれ出る。
 その言葉に一つ一つ頷いたりしながら、花梨も自分の気持ちが高揚していることに気付いた。
 イサトが自分の世界の人として生きていることに、生きていくことに心が躍った。
 これからも一緒にいられるのだということに、心が躍らずになんていられなかった。
 けれど、イサトの言葉を聞いていく内に、ある一つの事柄の話をしないことに花梨は気付いた。
「イサトくんの、家族は?」
 思わず出た言葉に、口から出てしまった言葉に、花梨は言ってしまってからはっとして口を押さえる。
「オレはこの寺に世話になってたらしくて、でも、高校に入ってからは一人暮らしさせてもらってるって」
 イサトは花梨の目を見ながらそう話した。
「それ、は……」
「オレが選んだんだ」
「え?」
 花梨が言葉を選べずにいると、イサトが間をおかずに言葉を続ける。
「龍神がこの世界で両親がいないのは良くないとか言ってたけど、俺にとっての両親や兄弟はやっぱり京にある両親と兄弟だから」
「……うん」
 イサトは花梨の瞳を捉えたまま頑なにそう言葉を紡いだ。そんなイサトの瞳を花梨も見つめ返して、頷いた。
 見つめあったまましばらく二人の間に沈黙が続き、風の音と木々がざわざわと騒ぐ音が耳を通りぬけていく。
 花梨がまた言葉と話題を探していると、イサトがぽつりと言葉を紡ぐ。
「お前とは、今日初めて、ここで……出逢ったんだ」
 その言葉に花梨は目を見開く。
「今日、初めて……?」
「ああ」
 そう言ってイサトが右手をすっと花梨に向けて差し出す。
「初めまして、高倉、花梨。オレの名前は、蓮見イサト」
「はす、み……蓮見、イサト、くん」
 戸惑いながらもゆっくり復唱してから花梨はイサトを見て、そして笑顔を浮かべる。
 その笑顔には少しだけ寂しさが残っていたけれど、イサトが差し出した手に触れて、握った花梨の顔から寂しさは消えていた。
「初めまして、蓮見イサトくん。私の名前は高倉花梨、です。これからよろしく――」
「――オレっ」
「えっ?」
 急に握った手を更に強く握られ、花梨は驚く。気付けばイサトの手は熱く、その顔は真っ赤である。
「オレっ、花梨のことが好きだっ、これからもきっとずっと……っ! だからっ」
 真っ赤になって、苦しそうな顔から紡ぎだされるその言葉に戸惑いながらも花梨は次の言葉を待った。
「だから……っ、オレと、結婚を前提に付き合って下さい!!!」
「……え」
 イサトの告白を聞いてから何度か瞳を瞬いて、次第に花梨の顔も赤に染まっていく。
「わ、私……」
 握っていた手を離して、握っていた鞄を落として、真っ赤になった顔を両手で抑えて、その場にしゃがみこむ。
「か、花梨?」
 明らかにうろたえている花梨を見て恥ずかしさどころじゃなくなったのか、赤みがひいた顔でイサトは花梨の前にしゃがみこむ。
 顔を隠す手や肩が震えているのを見て、イサトがまた花梨の名を呼ぼうとした瞬間――
「くっ、ふふ」
 顔を両手で押さえたままの花梨の口から、笑い声が漏れる。
「ふふ、あはは」
 イサトはどうして花梨が笑っているのか分からず一瞬唖然とするも、すぐに自分が彼女に対して言った言葉以外に原因がないことに気付く。
「こ、この…っ、笑うなよっ、かり――」
 気付くと同時にかっとなって花梨の両手を掴んで力ずくで顔を開かせる。
 するとそこにあったのは、瞳に涙を浮かべて、でも眩しいまでの笑顔をたずさえた花梨の顔で……イサトは目を見張る。
「はい」
「えっ」
 花梨の笑顔に魅せられていたイサトは花梨の言葉にとっさに反応が出来ず、おかしな声をあげてしまう。
「お付き合い、よろしくお願いします。イサトくん」
 笑顔をたずさえたまま答える花梨に、顔を赤く染めて、悔しそうな顔をして、でも花梨と同じように笑ってから、イサトも言葉を紡ぐ。
「よろしく、花梨……」
 しばらくそのまま見つめ合って、そして、どちらからともなく口付けを交わす。

―― シャ ン……

 花梨の耳に小さく鈴の音が届く。
 自分を抱きしめてくれるイサトの背中に自分の腕をまわして、花梨は木々の隙間から覗く青い空を見上げる。
 見上げたまま涙に濡れている瞳を閉じると、何度流れたか分からない涙が赤く染まった頬をすっと流れる。
 そして静かに、小さな声で呟く。

―― ありがとう


現代EDの始まりでした。
ずっと描いてみたいと思っていたので、今回企画という形ですが描けてとても良かったです^^*
これからの二人が幸せである事を、祈るばかりで願うばかりで、それだけで胸が一杯になってしまいます。
愛しいイサトくんが、花梨ちゃんが幸せになってくれますよう。
もちろん京にある、八葉や千歳、紫姫、深苑くん、和仁さんや時朝さんにシリン、アクラム、みんなも
みんなみんなが幸せになってくれますよう……いっぱいいっぱい、祈り願います。
そして沢山の素敵な気持ちを、ありがとう!! 大好き!!!

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