あいつ ―― そして花梨


 大路を全速力で走る。
 行過ぎる牛車や人々を瞬く間に遠くに追いやって、ただ闇雲に、がむしゃらに走る。
 空は曇り、今にも一雨来そうな雰囲気だ。このところ天候に恵まれているから、けっこうな降りになるかもしれない。
 誰しもそう思うのか、街中はどことなく慌しい。
 けれど走るイサトはそんなことには頓着していない。
 ただ、ただ、走る。
 息が上がるのもかまわずに走り続ける。
 大路の人影は次第に減って行く。雨の気配ゆえに、京を下るがゆえに。
 景色もいつしか変わる。荒地のほうがよいと思われるほど荒廃したたたずまいだ。
 大路にも荒廃の片鱗が転がる。
 イサトはそれにつまづいて、つんのめり、持ち堪えようと足を踏ん張ったと同時に体勢を崩して、派手な音ともに崩れた築地の瓦礫の中へと倒れこんだ。
 もうっと埃が立つ。
「……ってぇ…」
 呻くように言うと、激しく咳き込んだ。口を開いた拍子に埃を吸い込んだらしい。
 イサトは倒れたままごほごほと激しく咳き込む。
 やがて舞い上がっていた埃が納まる。
 そのときにはイサトの咳も絶えていた。
 静けさが広がる。
 イサトは起き上がりもせず、瞑目する。
「どうして……」
 苦しげな声音が激しい憤りに震える。
 末法の世と呼ばれ、京がおかしなことになっていることには気付いていた。
 星の一族とかいうものの末裔という紫と深苑の幼い貴族の姫と若様はそれを「危機」と言っていた。このまま行くと京は滅ぶのだと。
 末法の世だから当然じゃないか、そう思う一方でその危機を救える龍神の神子を信じたいとも思った。
 面影が浮かぶ。
 この京とは違う世界から来たという少女は、短い髪をしてまるで童のようだ。姓があるから貴族だろうと思っていたら、本人は違うという。それを信じたわけではない。が、確かに身分に頓着しないところなどは普通の貴族とは違う。普通の神子とも違う。
 そも普通の神子とはどういう神子を指すのだろう。
 龍神の神子はこの世にたった一人だ。
 ならばそれはああいう人柄なのだと思うよりほかない。
 けれど力も弱く、穢れにも弱い。
 正直、本当にそうなのかと疑いたくなるときがある。それでも信じられるものがある。
 澄んだあの瞳。
 京の現状を見聞きしても変わらないあの瞳。
 すでに院の許に龍神の神子はいるのだと知っても揺らがない言動。
 龍神の神子というのはもっと神々しく近づきがたいものだと思っていた。
 確かに彼女は清らかだ。同じ八葉で霊能がある源泉水がそう言っている。もっとも貴族の言うことなど当てにはならないが。
 イサトは目を開けた。曇天が映る。
「……龍神の神子、か」
 ぼんやりとそう呟いたとき、不意に呼ばわる声が聞こえ、イサトはびくりと身体を震わせた。
「おいっ! そこにいる奴、大丈夫かっ!」
 聞き覚えのある声だ。いや、正確には聞き覚えのある口調と言った方がいい。イサトの知るその口調をした人物の声はもっと幼い。
「まさか、本当に死んでるんじゃないだろうな」
 独り言のように言いながら、ざかざかと声の主は近づいてくる。
「おいっ!」
 瓦礫の中を覗きこむように腰を屈めた相手と目が合った。
 イサトは、ああ、やっぱり、と思った。
 相手は言葉もなく、茫然としていた。
「……よお」
 いささかの気まずさとともにイサトは身体を起こす。
「久しぶり、勝真」
 相手はそれに合わせて腰を伸ばした。
「あ、ああ……。イサト、おまえ、こんなところでなにやってんだ?」
「なにって……、ちょっと転んだだけだよ。そういうおまえこそなんでこんなとこにいるんだよ?」
「俺は見回りだ。少し先で子供が人が倒れてるって騒いでたもんだから、見に来たんだ。盗人ならまだしも、怨霊かもしれないって。こんなところ誰も好き好んで近づきはしないだろう」
 勝真のいうとおりだ。
「それでか。で、怨霊だったらどうしたんだよ」
「退治する。と言いたいところだが、俺にはそんな力はないからな。あいつに知らせて、来てもらうことになったろうな」
「あいつって……、あいつか?」
「ん? ああ、花梨のことだ。そういえば、最近はおまえたち、院の八葉と行動を共にしてるんだったな」
「ああ……」
「それで、どうだ?」
「どうだって、なにが?」
「おまえたち、花梨のことを信じてないだろ?」
「龍神の神子ってことをか? まあな。龍神の神子は前から院の許にいるし。確かにあいつは怨霊と戦う力を持ってるけど……。おまえたちは信じてるんだよな」
 そう問うと、勝真はがしがしと頭を掻いた。そしてわずかに歯切れ悪く答えた。
「一応な」
「一応?」
 いぶかしむイサトに勝真はうなずいてみせる。
「ああ。俺はもともと龍神の神子なんてものを信じていない。だから今でも眉唾だとしか思えない。けど、花梨の怨霊を祓うあの力は本物だ。それだけは確かだ」
「力、か……」
 ほろ苦い思いでイサトは笑う。
 その様子に勝真はけげんそうに首をかしげた。
「力がどうかしたのか?」
「えっ? い、いや、なんでもねえよ」
「……そうは見えないけどな」
 むっとした顔で勝真を睨む。
「なんでもねえって言ってるだろっ!」
「そうやってむきになるってことはなにかあるってことだろ」
 言葉に詰まる。
「まあ、初めてあいつと一緒に戦ったってんならわからんことはないが」
 イサトははっと目を瞠った。
「おまえも炎を出したのか!」
 掴みかからんばかりの勢いのイサトに、勝真は目を丸くした。
「……炎? いや」
「え? 違うのか?」
「ああ、俺は雷だ。どうやら八葉一人一人、力の発し方は違うようだぜ」
「そう、なのか?」
「一緒にいた院側の八葉は違ってたろう」
 イサトは首を振った。
「ほかの奴等のことは知らない。今日はオレとあいつと二人だけだったから」
「そうか……」
「でも勝真は雷なんだな。オレは、炎だ。よりによってさ。笑えるだろ」
 むろん笑えるわけがない。イサトがそうであるように、勝真にとっても炎は特別な意味を持つ。
「……どうして、オレが炎なんだよ。どうしてっ!」
 足で瓦礫を蹴飛ばす。瓦礫は遠くへ飛んでいった。
 八葉全員違うというのなら、他の力でもよかったはずだ。
「初めてだったのか、戦い?」
「ああ」
「そうか。でも怨霊は撃退できたんだろ?」
「出来た。オレ、力が流れ込んできたときさ、嬉しかったんだ。これで怨霊を退治できるって。けど次の瞬間、振り回した錫杖から出たのは炎だった。オレの、オレの手から炎が……っ」
 激しく歯噛みする。
「それでも怨霊は退治できたんだろ」
 同じことを勝真は繰り返した。
 イサトはキッと睨み返す。
「ああ、出来たさっ! だからなんだってんだよっ。オレの出した炎で」
「そうだ。おまえの出した炎で怨霊は消えたっ! それ以上、なにが不満だ?」
「不満? 違うっ」
「なにが違うんだ? 俺は京を守るため、怨霊と戦う力が欲しかった。おまえは違うのか? 末法の世だとか、今浄土とか、そんなものは知らない。祈りだけですべてが一掃できるのなら、疾うの昔にそうなっていたはずだ。だが現実はどうだ? なにも変わっちゃいない。変えようともしない。はっ、もちろん俺も人のことは言えないけどな。けど八葉となってその力を得ることが出来た。それがすべてだ。おまえは違うのか?」
「……オレは。オレは……、オレだって、それを信じたいっ」
「ならそうすればいい」
「簡単に言うなよっ」
「だな。けど、信じるのも信じないのも結局は自分次第だろ。おまえは誰かに信じろと言われたら信じることが出来るのか?」
 口を開きかけて閉じる。ややあって力なく首を振った。
「俺は花梨のことを信じろとは言わない。それを決めるのは、今言ったとおりおまえだからな。けど。俺は院御所の奥でただ祈ってる千歳よりはあいつを信じることが出来る。少なくともあいつは正直だからな」
「正直? どういうことだ?」
「あいつの目的は元の世界に帰ることだ」
「はあ? 京を救うんじゃないのかっ!」
「だから、京を救わなければ、あいつは自分の世界に戻ることができないんだよ」
 イサトは目を瞠った。
「自分本位だと思うか? 正直言って、俺はそう聞いてそう思った。けどそれは俺たちだって同じだろ。花梨の力を知って、それを、それだけを頼ろうとした。龍神の神子だなんて信じてもいないのにな。なのにあいつときたら、それでもいいって言うんだから」
 イサトは押し黙った。
 そうだ、彼女は、花梨は、信じてくれなくてもいいと言った。それで構わないから、京を救うために協力してほしいと。
 龍神の神子と八葉さー、それはどんな関係なのか。
「……なあ、八葉っていうのは、龍神の神子の盾となり剣となる存在だったよな」
「そう伝えられてるな」
「それってさ、八葉は神子の臣下ってことじゃないのか?」
「さあ、どうだろうな。考えたこともなかったが、そういうことも言えるかもな」
「だったら、あいつ、花梨はそう命じればいいんじゃないのか?」
 イサトはじっと勝真を見つめた。
 勝真はしばし沈黙したのち、苦笑とともに口を開いた。
「そうだとしても、花梨はそんなことしないと思うぜ。いや、しないな、絶対。あいつはいつだって『お願い』するだろう。あいつは底なしのお人好しだからな。もしかしたらだからこそ龍神の神子なのかもしれない」
 なんとなくすとんと落ちるものがあった。
 正直なところ、自分の力が炎だと知ったとき、恐怖しか感じなかった。この炎が京の街を焼きつくすと。
 けれど、これは怨霊と戦う力だ。
 現にイサトの放った炎は怨霊を撃退したあとすぐに消えた。
 ふと勝真がぼそりと呟くように言った。
「俺たちですら驚いた力をあいつはどう思ったのかな」
 イサトははっとする。
 のほほんとした花梨を見ていればわかるように、彼女がこれまで生きてきた世界は京よりもずっと争いが少ない世界に違いない。人の死もあまり身近ではないような。そんな世界で戦ったことなどあろうはずもない。
「……オレ、気付かなかった」
「ん?」
「あいつ、自分の世界で戦ったことなんてないよな、きっと」
「恐らくな。もっとも実戦の経験は俺達だってない」
「だよな。けど武器が身近で、武士のいる京とは違うだろ、やっぱ」
「ああ。それでも弱音も吐かずに頑張っているあいつを、俺は助けたいと思う。龍神の神子であろうとなかろうとな。おまえがどうするかは、おまえ自身で決めればいい。俺は強要しないし、おまえの決めたことに口を出す気もない」
「勝真……」
 柄にもないことを口にしたといった風情で勝真は肩を竦めた。
「俺は街の見回りに戻るぜ。ここら辺もあまり安全とはいえない場所だ。用がないなら早々に退散したほうがいい。じゃあな」
 踵を返し、街中へと戻って行く勝真の背を見送りつつ、イサトはやおら立ち上がった。衣服についた汚れを払ったのち、大きく伸びをすれば、身体のあちこちに痛みが走った。
「うっ……。あちこち痕が残りそうだな」
 空を見上げる。雨の気配が一段と濃厚な色をしている。
「降られる前に寺に戻らねえとな。けどその前に……」
 イサトは寺とは別の方向へと首を巡らせた。
 その先には龍神の神子が身を寄せる四条の館がある。
 瓦礫から飛び出すと、一目散にそちらへと駆け出した。
「花梨に謝らないとな」
 あいつと言わなかったことに、イサトは気付いていなかった。



OVA初見のとき、イサトくんが自分の炎に驚いたシーンで、
正直やられたと思いました。ただし、それは思いつかなかったと言う意味で。
悔しいので、ゲーム中の設定でいつか自分なりに書いてやろうと思ってました。出来ればイサトくん視点で。
今回こうして日の目を見られてよかったなと思います。
花梨ちゃんを信じられないけど、信じたいと願うイサトくんの気持ちが伝われば、と思います。
ちなみに勝真さんが出ているのは趣味です。(笑)

one hand, one heart // ヤマダ寧乎